鍼灸師になるまでの道のり(15)~おわり~
「鍼灸師になる」というのは、専門学校を卒業して、国家試験に通ればなれるのですが、
私が鍼灸師の資格をとって感じたのは、
「これがスタート」ということでした。
ずっと目標にしていた、「不妊を治せる鍼灸師になりたい」という夢も、
今は考え方が変わってきました。
私が鍼灸師になりたいと思ったのは、自分の不妊症の体験からでした。
でも、不妊症という経験は、私にとって『意味のない不幸な体験』だったのでしょうか?
そうではありません。
私にとって、不妊症はそれまで全く縁のなかった
東洋医学の世界に進むための大きな転機でした。
もしも、悩んで苦しんで模索していた時期がなかったら・・・
もしも、名医がいて簡単に妊娠できたら・・・
やりがいをもって鍼灸師の仕事をしている私は存在しないのですね。
不妊は苦しいです。
でも、その苦しさの中で、何か気づくことがあるのかもしれない。
しなくてはならない体験をしているのかもしれない。
鍼灸治療して体を妊娠しやすい状態に近づけることはできると思うけれど、
不妊症を治すなんて、なんておこがましいことを考えていたんだろう。
そんなことを思うようになりました。
だからといって、不妊症に対する思い入れがなくなったわけではなく、
相変わらずそれは大切な課題なのですが。
そして、その思いは、どんな愁訴でおみえになった方にも
同じように感じています。
その方が治るのは、その方の治る力のおかげであって、
治療家は手伝いをするしかできないのです。
私の恩師がかつてこのようにおっしゃっていました。
「鍼灸師という生き方は、自分自身を見つめる旅です」
出会う患者さんを治療する、という一方的な関係ではなく、
治療する側もその出会いの中で貴重な経験させていただいているのです。
私の学びに必要な方に出会っているのですね。
そう考えると、本当は、
「鍼灸師になってからの道のり」の方が
よっぽど大切なのかもしれません。
その道のりを、一歩一歩大切に歩いていこうと、
この文を書きながら、思いを新たにしています。
長い文章におつきあいいただき、どうもありがとうございました。
そして、私が鍼灸師になる道のりに、常に寄り添ってくれている娘に、
感謝を込めて終わりにしたいと思います。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
『鍼灸師になるまでの道のり』トップはこちらからどうぞ
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私が鍼灸師の資格をとって感じたのは、
「これがスタート」ということでした。
ずっと目標にしていた、「不妊を治せる鍼灸師になりたい」という夢も、
今は考え方が変わってきました。
私が鍼灸師になりたいと思ったのは、自分の不妊症の体験からでした。
でも、不妊症という経験は、私にとって『意味のない不幸な体験』だったのでしょうか?
そうではありません。
私にとって、不妊症はそれまで全く縁のなかった
東洋医学の世界に進むための大きな転機でした。
もしも、悩んで苦しんで模索していた時期がなかったら・・・
もしも、名医がいて簡単に妊娠できたら・・・
やりがいをもって鍼灸師の仕事をしている私は存在しないのですね。
不妊は苦しいです。
でも、その苦しさの中で、何か気づくことがあるのかもしれない。
しなくてはならない体験をしているのかもしれない。
鍼灸治療して体を妊娠しやすい状態に近づけることはできると思うけれど、
不妊症を治すなんて、なんておこがましいことを考えていたんだろう。
そんなことを思うようになりました。
だからといって、不妊症に対する思い入れがなくなったわけではなく、
相変わらずそれは大切な課題なのですが。
そして、その思いは、どんな愁訴でおみえになった方にも
同じように感じています。
その方が治るのは、その方の治る力のおかげであって、
治療家は手伝いをするしかできないのです。
私の恩師がかつてこのようにおっしゃっていました。
「鍼灸師という生き方は、自分自身を見つめる旅です」
出会う患者さんを治療する、という一方的な関係ではなく、
治療する側もその出会いの中で貴重な経験させていただいているのです。
私の学びに必要な方に出会っているのですね。
そう考えると、本当は、
「鍼灸師になってからの道のり」の方が
よっぽど大切なのかもしれません。
その道のりを、一歩一歩大切に歩いていこうと、
この文を書きながら、思いを新たにしています。
長い文章におつきあいいただき、どうもありがとうございました。
そして、私が鍼灸師になる道のりに、常に寄り添ってくれている娘に、
感謝を込めて終わりにしたいと思います。
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鍼灸師になるまでの道のり(14)
こうして、鍼灸師になるために専門学校に通い始めました。
東京で暮らすか長野で暮らすか迷いましたが、
長野から通うことにしました。
子供が小さかったし、当時は私も虚弱だったので、
ひとりで育てる自信がなかったのです。
朝、実家に娘を預けて、そのまま駅に向かい、
新幹線にのって東京へ行き、そこから新大久保にある学校に通いました。
娘は、実家の母親が保育園に連れて行ってくれました。
帰りは、私が保育園に娘を迎えにいきました。
そんな生活が3年続きました。
通学に往復5時間。
大変といえば大変でしたが、大変だったのは通学よりも勉強で、
これには本当に泣かされました。
鍼灸学校の勉強というのは、東洋医学よりも西洋医学的知識の方が多いのです。
解剖学、生理学、病理学、臨床医学・・・などの医学的知識と、
東洋医学の基礎知識である経絡経穴を学び、東洋医学概論を学び、
臨床に必要な知識を学びました。
学校の勉強だけではなく、脈診(脈をみて診断する方法)を学ぶため、
勉強会にも参加しました。
腕がいいと評判の先生の治療もたくさん受けました。
100人いれば100とおりの鍼があるのです。
打たれた感触は見た目ではわからないので、自分の体で受けるしかないのですね。
学校が終わったら、東京に行く機会もなくなるだろうと想定して、
貪欲に勉強しました。
在学中の私の口癖は、
「不妊が治せる鍼灸師になりたい」でした。
もし不妊症にならなかったら、私は鍼灸師になっていなかったでしょう。
自分の経験を一番生かしていけることだし、
それで喜んでくださる方もたくさんいると確信していました。
3年間専門学校に通って、国家試験を受けて合格し、
平成17年に私は鍼灸師になりました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
http://bsp.naganoblog.jp/e273410.html
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東京で暮らすか長野で暮らすか迷いましたが、
長野から通うことにしました。
子供が小さかったし、当時は私も虚弱だったので、
ひとりで育てる自信がなかったのです。
朝、実家に娘を預けて、そのまま駅に向かい、
新幹線にのって東京へ行き、そこから新大久保にある学校に通いました。
娘は、実家の母親が保育園に連れて行ってくれました。
帰りは、私が保育園に娘を迎えにいきました。
そんな生活が3年続きました。
通学に往復5時間。
大変といえば大変でしたが、大変だったのは通学よりも勉強で、
これには本当に泣かされました。
鍼灸学校の勉強というのは、東洋医学よりも西洋医学的知識の方が多いのです。
解剖学、生理学、病理学、臨床医学・・・などの医学的知識と、
東洋医学の基礎知識である経絡経穴を学び、東洋医学概論を学び、
臨床に必要な知識を学びました。
学校の勉強だけではなく、脈診(脈をみて診断する方法)を学ぶため、
勉強会にも参加しました。
腕がいいと評判の先生の治療もたくさん受けました。
100人いれば100とおりの鍼があるのです。
打たれた感触は見た目ではわからないので、自分の体で受けるしかないのですね。
学校が終わったら、東京に行く機会もなくなるだろうと想定して、
貪欲に勉強しました。
在学中の私の口癖は、
「不妊が治せる鍼灸師になりたい」でした。
もし不妊症にならなかったら、私は鍼灸師になっていなかったでしょう。
自分の経験を一番生かしていけることだし、
それで喜んでくださる方もたくさんいると確信していました。
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鍼灸師になるまでの道のり(13)
鍼灸師になるにはどうしたらいいのか、本を買ってきて調べました。
・晴眼(目が見える)の人が学べる鍼灸学校は長野市にはないこと。
(私が卒業した年に、長野市に開設されました)
・鍼灸のほかにマッサージの資格が取れる学校はとても少ないこと。
・人気のある学校は倍率が高いこと。
・生物の勉強をしなくてはいけないこと。
・学校によっては、古典の勉強をしなくてはいけないこと。
・学校によっては、小論文の勉強をしなくてはいけないこと。
とても大変そうです。
そんなときに、「鍼灸学校に入るための予備校」があることを知り、
通信科で受験勉強をしました。
次の問題はどの学校に入るか、でした。
妊娠のために私が読んだ本で、私がその考え方に共感できる鍼灸師の先生は、
みな「東洋鍼灸専門学校」の出身でしたので、そこを第一志望にしました。
子供がまだ2歳と小さくて、とても勉強ができるような状況ではなかったので、
受験の2ヶ月前から保育園で預かってもらいました。
ありがたいことに、たまたま「3ヶ月だけなら」
という空きがあったのです。
そうやって、受験をして、無事第一志望の学校に合格しました。
こうかくと、ものすごく立派な人に見えてしまうかもしれませんね。
全然違いますから。
夫の死後のいろいろな出来事から、心理的に不安定でしたし、
勉強できなくて、子供に八つ当たりしたり、本当にひどい母親でした。
保育園に行くようになった娘は、
「私がいると、ママは勉強ができないから」と言っていたそうです。
この頃のことを思い出すと、娘に対して申し訳ない思いでいっぱいになります。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
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・人気のある学校は倍率が高いこと。
・生物の勉強をしなくてはいけないこと。
・学校によっては、古典の勉強をしなくてはいけないこと。
・学校によっては、小論文の勉強をしなくてはいけないこと。
とても大変そうです。
そんなときに、「鍼灸学校に入るための予備校」があることを知り、
通信科で受験勉強をしました。
次の問題はどの学校に入るか、でした。
妊娠のために私が読んだ本で、私がその考え方に共感できる鍼灸師の先生は、
みな「東洋鍼灸専門学校」の出身でしたので、そこを第一志望にしました。
子供がまだ2歳と小さくて、とても勉強ができるような状況ではなかったので、
受験の2ヶ月前から保育園で預かってもらいました。
ありがたいことに、たまたま「3ヶ月だけなら」
という空きがあったのです。
そうやって、受験をして、無事第一志望の学校に合格しました。
こうかくと、ものすごく立派な人に見えてしまうかもしれませんね。
全然違いますから。
夫の死後のいろいろな出来事から、心理的に不安定でしたし、
勉強できなくて、子供に八つ当たりしたり、本当にひどい母親でした。
保育園に行くようになった娘は、
「私がいると、ママは勉強ができないから」と言っていたそうです。
この頃のことを思い出すと、娘に対して申し訳ない思いでいっぱいになります。
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鍼灸師になるまでの道のり(12)
思いがけないことが起こりました。
2000年2月に、夫が心筋梗塞で亡くなりました。
子供は生後5ヶ月で、ひとりではおすわりもできない頃でした。
家族構成が変わり、住む場所が変わりました。
まるで嵐の中にいるようでした。
そしてそれが落ち着いた頃、子育て中の専業主婦だった私は、
自分の将来をしっかり考える必要にせまられました。
まだ子供が小さかったので、授業参観にも遠慮しないで行けるように、
自由な働き方をしたいと思いましたし、
その後ろ盾として、ちゃんと勉強して、一生やっていけるような
資格を取りたいと思ったのです。
家で仕事をして、帰ってきた子供に「お帰り~!」と言える仕事がいいと
思いました。
子供が2歳になったときに、イトオテルミーの勉強をしました。
イトオテルミーも素晴らしいのですが、
不妊の期間中に東洋医学について興味をもった私は、
東洋医学や人の体についてもっと深く勉強したいと思いました。
「鍼灸師の勉強をしてみたい」とはっきり思ったのはその時です。
とはいえ、決心するのにはものすごく勇気が必要でした。
ちょうどその頃、三宅島で噴火が起こりました。
全島避難の様子をテレビで見ながら、
「もし、私がこの子をかかえてこのような状態になったらどうしよう」
と真剣に考えました。
「もし、マッサージの技術があったら、 どんな場所でも仕事ができるから、
どんなことがあっても、自分が健康でありさえすれば、
とりあえずその日の宿や食べ物はどうにかできるかもしれない。」
とも思いました。
学校について調べたり、お金や時間について調べると、
どうやらできそうでした。
全部ではないのですが、鍼灸とマッサージは1つの学校で両方の資格がとれます。
鍼灸・マッサージの専門学校に通って資格を取ろうと思いました。
35歳のときでした。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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まるで嵐の中にいるようでした。
そしてそれが落ち着いた頃、子育て中の専業主婦だった私は、
自分の将来をしっかり考える必要にせまられました。
まだ子供が小さかったので、授業参観にも遠慮しないで行けるように、
自由な働き方をしたいと思いましたし、
その後ろ盾として、ちゃんと勉強して、一生やっていけるような
資格を取りたいと思ったのです。
家で仕事をして、帰ってきた子供に「お帰り~!」と言える仕事がいいと
思いました。
子供が2歳になったときに、イトオテルミーの勉強をしました。
イトオテルミーも素晴らしいのですが、
不妊の期間中に東洋医学について興味をもった私は、
東洋医学や人の体についてもっと深く勉強したいと思いました。
「鍼灸師の勉強をしてみたい」とはっきり思ったのはその時です。
とはいえ、決心するのにはものすごく勇気が必要でした。
ちょうどその頃、三宅島で噴火が起こりました。
全島避難の様子をテレビで見ながら、
「もし、私がこの子をかかえてこのような状態になったらどうしよう」
と真剣に考えました。
「もし、マッサージの技術があったら、 どんな場所でも仕事ができるから、
どんなことがあっても、自分が健康でありさえすれば、
とりあえずその日の宿や食べ物はどうにかできるかもしれない。」
とも思いました。
学校について調べたり、お金や時間について調べると、
どうやらできそうでした。
全部ではないのですが、鍼灸とマッサージは1つの学校で両方の資格がとれます。
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35歳のときでした。
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鍼灸師になるまでの道のり(11)
出産した日は疲れをとるためにゆっくり休んで、
(本当は、お産のあとっていうのは、疲れを感じなくするホルモンが出てるので、
そんなに疲れを感じないようになっているそうです。
私も、アタマが冴えて眠りたくても眠れませんでした。)
翌日、赤ちゃんが病室に連れてこられました。
赤ちゃんを連れてきた看護師さんが去ると、
私と赤ちゃんが残されました。
「うーん・・・」
目の前にいる、ブニュブニュしてやわらかそうな赤ん坊。
私、お母さんのはずだけど、どうしたらいいかわかりません。
一瞬躊躇して、勇気を出して抱っこしました。
「エイッ」って感じ。
その瞬間が忘れられません。
私の場合、母性本能って、勝手にわいてくるものではありませんでした。
「私がこの子のたったひとりのお母さんなんだ」
という自覚が、一番最初でした。
自分のこと「お母さん」っていいながら、
「お母さんがオムツかえてあげるね~」
「お母さんが抱っこしてあげるね~」
っていいながら、少しずつお母さんになっていったように思います。
夫もそうだったのでしょうね。
最初は何もかもうまくできなくて、それが当たり前でした。
そうやって、少しずつ親らしくなっていくのですね。
子供のいる生活に慣れてきたころ、
思いがけない出来事が起こりました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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私と赤ちゃんが残されました。
「うーん・・・」
目の前にいる、ブニュブニュしてやわらかそうな赤ん坊。
私、お母さんのはずだけど、どうしたらいいかわかりません。
一瞬躊躇して、勇気を出して抱っこしました。
「エイッ」って感じ。
その瞬間が忘れられません。
私の場合、母性本能って、勝手にわいてくるものではありませんでした。
「私がこの子のたったひとりのお母さんなんだ」
という自覚が、一番最初でした。
自分のこと「お母さん」っていいながら、
「お母さんがオムツかえてあげるね~」
「お母さんが抱っこしてあげるね~」
っていいながら、少しずつお母さんになっていったように思います。
夫もそうだったのでしょうね。
最初は何もかもうまくできなくて、それが当たり前でした。
そうやって、少しずつ親らしくなっていくのですね。
子供のいる生活に慣れてきたころ、
思いがけない出来事が起こりました。
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鍼灸師になるまでの道のり(10)
出産当日、入院の支度をして病院にいきました。
いろいろな準備をしている時に、助産師さんに
「出産までにどのくらい時間がかかりますか?」
と尋ねると、
「今日中に産まれればいい、ってくらいかしらね」
その時は朝の8時。
今日中って、あと16時間もあるけど・・・?
「陣痛促進剤」の点滴が始まりました。
すぐに陣痛が始まって、助産師さんが、
「あら、この人薬の効きがいいわ」
と驚いたように言いました。
当たり前だと思いました。
私は妊娠前の数年間、薬品の類は一切使わず、
あらゆる手段を使って体を整えてきたのですから。
ところが、お産が進むに従って、赤ちゃんの心音が止まってしまうのです。
どうやらへその緒が首にからんでいるらしく、
産道をおりてくると、首がしめつけられて、心臓の動きが止まるらしいのです。
帝王切開をするかもしれないと告げられました。
点滴が増やされました。
この点滴をすると、手首が痛んで、かなり強い薬なのだとわかりました。
帝王切開の手術の同意書にサインするために、
仕事中の夫が呼ばれました。
月末の一番忙しい日だったので、私の顔をチラリを見て、
夫は仕事に戻っていきました。
それでもお産は順調にすすみ、
12時に昼食が届いたときにはもう何も食べられないような痛みとなりました。
分娩台にあがったら、お産も終わりに近くなってきます。
「はい、いきんで~」という時に、
「全然いきんでないじゃない!」と若い助産師さんに怒られ、
その言い方にムカついたので、
「ちゃんといきんでます!」と言ったら、
「あら、この人しゃべる余裕あるわ」と言われました。
陣痛と陣痛の間に、無痛の時間があったので、そこで一息つけるのです。
「これなら生理痛より楽だ」と思ったのを覚えています。
(前にも書きましたが、私の生理痛は、本当にひどかったのです)
結局普通分娩で、赤ちゃんを産むことができました。
産まれたのは午後3時3分。
子供は心音が止まったり、とても大変だったと思いますが、
私自身は安産だったといえるでしょう。
もうひとつ書いておきたいのは、
陣痛をおこすところは「陣痛促進剤」を使ったのですが、
最後の方はもう薬が必要なかったことです。
それについても、助産師さんが驚いていました。
お産の進み方が早かったので、帝王切開しなくてすんだのだと、
あとで聞きました。
陣痛そのものよりも、お産のあとが痛かったです。
後産(あとざん)というのですが、子宮が急速に収縮する痛みだそうです。
これも、子宮の収縮が良いためにおきることだそうです。
こうして、無事赤ちゃんが産まれました。
女の子でした。
初めて顔を見たとき、何て言っていいのかわからなくて、
「こんにちは~」と言いました。
こんな風にして、私はママになりました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
http://bsp.naganoblog.jp/e271035.html
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「出産までにどのくらい時間がかかりますか?」
と尋ねると、
「今日中に産まれればいい、ってくらいかしらね」
その時は朝の8時。
今日中って、あと16時間もあるけど・・・?
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すぐに陣痛が始まって、助産師さんが、
「あら、この人薬の効きがいいわ」
と驚いたように言いました。
当たり前だと思いました。
私は妊娠前の数年間、薬品の類は一切使わず、
あらゆる手段を使って体を整えてきたのですから。
ところが、お産が進むに従って、赤ちゃんの心音が止まってしまうのです。
どうやらへその緒が首にからんでいるらしく、
産道をおりてくると、首がしめつけられて、心臓の動きが止まるらしいのです。
帝王切開をするかもしれないと告げられました。
点滴が増やされました。
この点滴をすると、手首が痛んで、かなり強い薬なのだとわかりました。
帝王切開の手術の同意書にサインするために、
仕事中の夫が呼ばれました。
月末の一番忙しい日だったので、私の顔をチラリを見て、
夫は仕事に戻っていきました。
それでもお産は順調にすすみ、
12時に昼食が届いたときにはもう何も食べられないような痛みとなりました。
分娩台にあがったら、お産も終わりに近くなってきます。
「はい、いきんで~」という時に、
「全然いきんでないじゃない!」と若い助産師さんに怒られ、
その言い方にムカついたので、
「ちゃんといきんでます!」と言ったら、
「あら、この人しゃべる余裕あるわ」と言われました。
陣痛と陣痛の間に、無痛の時間があったので、そこで一息つけるのです。
「これなら生理痛より楽だ」と思ったのを覚えています。
(前にも書きましたが、私の生理痛は、本当にひどかったのです)
結局普通分娩で、赤ちゃんを産むことができました。
産まれたのは午後3時3分。
子供は心音が止まったり、とても大変だったと思いますが、
私自身は安産だったといえるでしょう。
もうひとつ書いておきたいのは、
陣痛をおこすところは「陣痛促進剤」を使ったのですが、
最後の方はもう薬が必要なかったことです。
それについても、助産師さんが驚いていました。
お産の進み方が早かったので、帝王切開しなくてすんだのだと、
あとで聞きました。
陣痛そのものよりも、お産のあとが痛かったです。
後産(あとざん)というのですが、子宮が急速に収縮する痛みだそうです。
これも、子宮の収縮が良いためにおきることだそうです。
こうして、無事赤ちゃんが産まれました。
女の子でした。
初めて顔を見たとき、何て言っていいのかわからなくて、
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こんな風にして、私はママになりました。
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鍼灸師になるまでの道のり(9)
治療を受けていたからといって、妊娠中のトラブルが何もなかったわけではありません。
貧血になって鉄剤を飲んだり、
出血して安静を言われたり、
逆子になったこともあったし、
お腹がはって苦しいこともありました。
臨月には階段を登ることさえ大変で、「一生このままかしら」
と不安な気持ちになったこともありました。
それでも、これといった大きな心配をすることなく、
臨月になりました。
出産するのは、家から一番近い産婦人科でした。
私は自然なお産を希望していたのですが、
その病院は、予定日から時間がたつにつれて胎盤が古くなるから・・・
といって、予定日をすぎたら陣痛促進剤を使った分娩をするように
という方針でした。
それを、出産の間際になって知ったのですね。
出産の前日、陣痛促進剤を使うのがイヤでイヤで、
泣いて夫に訴えたのですが、夫もどうしようもないですよね。
これから出産という日に、医師にはその気持ちを伝えても
受け入れてもらえませんでした。
という私も断固として断るというほどの意志はなかったので、
そうなったのは、自分の責任なのですが。
お産のやり方を自分で選択できなかったことは
とても後悔しています。
「でも、二番目の子供のときはちゃんと選んで出産しよう」
と思っていたのですね。
このときは、私の人生の中で、出産のチャンスはこれ1回だけ
だなんて知らなかったのですから。
次はお産です。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
http://bsp.naganoblog.jp/e270253.html
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臨月には階段を登ることさえ大変で、「一生このままかしら」
と不安な気持ちになったこともありました。
それでも、これといった大きな心配をすることなく、
臨月になりました。
出産するのは、家から一番近い産婦人科でした。
私は自然なお産を希望していたのですが、
その病院は、予定日から時間がたつにつれて胎盤が古くなるから・・・
といって、予定日をすぎたら陣痛促進剤を使った分娩をするように
という方針でした。
それを、出産の間際になって知ったのですね。
出産の前日、陣痛促進剤を使うのがイヤでイヤで、
泣いて夫に訴えたのですが、夫もどうしようもないですよね。
これから出産という日に、医師にはその気持ちを伝えても
受け入れてもらえませんでした。
という私も断固として断るというほどの意志はなかったので、
そうなったのは、自分の責任なのですが。
お産のやり方を自分で選択できなかったことは
とても後悔しています。
「でも、二番目の子供のときはちゃんと選んで出産しよう」
と思っていたのですね。
このときは、私の人生の中で、出産のチャンスはこれ1回だけ
だなんて知らなかったのですから。
次はお産です。
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鍼灸師になるまでの道のり(8)
イトオテルミーのK先生は、私よりひとまわり上の女性でした。
女性であり、明るくて、聡明で、いつも笑っていて、
会うだけで元気をもらえるような存在でした。
K先生は玄米菜食を患者さんに勧めていましたので、
私の食生活にもチェックが入りました。
甘いものはダメ。
もちろん果物はダメ。
生野菜はダメ。
玄米がいいよ。
お茶は3年番茶。
熱を出したら梅生番茶。
食生活を変えるのが大変でしたが、ちょっとずつ変えていきました。
「今週は甘いもの食べなかったんです」と報告すると、
「そうか、それはよかったね」とほめてもらえるのがとても嬉しかったですね。
毎週治療に通うのが楽しみでした。
治療は1週間に1回でしたが、ときどき、
「ごめん、来週田植えなんだ(笑)」
などの理由で治療をお休みするところもツボでした。
仕事と家庭を両立している姿を見せてもらったのですね。
鍼灸の治療院では、1人の鍼灸師が何人かの患者さんを掛け持ちするのが
普通なのですが、そこは1時間きっちり先生が患者さんにかかりっきりになります。
いろいろなことを話し、笑ったり泣いたりしました。
今の私の仕事のスタイルは、この頃のK先生と同じです。
大きな影響を受けました。
そして、治療を始めてから半年後に妊娠がわかりました。
妊娠がわかってから、漢方薬はやめましたが、テルミーの治療は続けました。
お腹の子供がすくすくと育つといわれたからです。
それだけでなく、1週間に1回治療を受けるということがとても心地よくて、
妊娠したからといって治療をおしまいにしたくなかったのです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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女性であり、明るくて、聡明で、いつも笑っていて、
会うだけで元気をもらえるような存在でした。
K先生は玄米菜食を患者さんに勧めていましたので、
私の食生活にもチェックが入りました。
甘いものはダメ。
もちろん果物はダメ。
生野菜はダメ。
玄米がいいよ。
お茶は3年番茶。
熱を出したら梅生番茶。
食生活を変えるのが大変でしたが、ちょっとずつ変えていきました。
「今週は甘いもの食べなかったんです」と報告すると、
「そうか、それはよかったね」とほめてもらえるのがとても嬉しかったですね。
毎週治療に通うのが楽しみでした。
治療は1週間に1回でしたが、ときどき、
「ごめん、来週田植えなんだ(笑)」
などの理由で治療をお休みするところもツボでした。
仕事と家庭を両立している姿を見せてもらったのですね。
鍼灸の治療院では、1人の鍼灸師が何人かの患者さんを掛け持ちするのが
普通なのですが、そこは1時間きっちり先生が患者さんにかかりっきりになります。
いろいろなことを話し、笑ったり泣いたりしました。
今の私の仕事のスタイルは、この頃のK先生と同じです。
大きな影響を受けました。
そして、治療を始めてから半年後に妊娠がわかりました。
妊娠がわかってから、漢方薬はやめましたが、テルミーの治療は続けました。
お腹の子供がすくすくと育つといわれたからです。
それだけでなく、1週間に1回治療を受けるということがとても心地よくて、
妊娠したからといって治療をおしまいにしたくなかったのです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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鍼灸師になるまでの道のり(7)
20代からずっと編み物を習っていました。
手を動かしながらおしゃべりをするのが大好きなのは、
この頃から変わっていません。
編み物をしながら仲良しのHさんとおしゃべりしているとき、
「そういえば、友達が行っている治療でね、
『みかんを食べてはいけない』って言われたんだって(笑)」
その言葉を聞いて、ピンとひらめきました。
「私、そこ行く。教えて!」
それまで本を読んで勉強してきましたので、
果物が冷え症に良くないということを知っていました。
果物を食べてはいけないと言っている先生なら、本物に近いに違いない。
そう判断したわけです。
その治療法は鍼灸ではなく、「イトオ・テルミー」というもの。
テルミーの仕組みをものすごく簡潔に説明すると・・・

専用の管の中に線香を入れて火をつけて、

上から別の管をつけ、このように持ち、

体の表面をさすり、温熱刺激をするものです。
女性の先生で明るくて頼もしくて、すっかり安心してしまいました。
「鍼灸じゃないけれど、この先生がいいな」
と思って、しばらく通うことにしました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
今だから思うのですが、テルミーも鍼灸の形を変えたものですね。
皮膚に刺す鍼だけが鍼ではなくて、皮膚をさするだけの「てい鍼」という鍼があります。
線香での温熱刺激は、間接灸でしょう。
はりと灸の両方の効果がある、有効な治療法だと思っています。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
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この頃から変わっていません。
編み物をしながら仲良しのHさんとおしゃべりしているとき、
「そういえば、友達が行っている治療でね、
『みかんを食べてはいけない』って言われたんだって(笑)」
その言葉を聞いて、ピンとひらめきました。
「私、そこ行く。教えて!」
それまで本を読んで勉強してきましたので、
果物が冷え症に良くないということを知っていました。
果物を食べてはいけないと言っている先生なら、本物に近いに違いない。
そう判断したわけです。
その治療法は鍼灸ではなく、「イトオ・テルミー」というもの。
テルミーの仕組みをものすごく簡潔に説明すると・・・
専用の管の中に線香を入れて火をつけて、
上から別の管をつけ、このように持ち、
体の表面をさすり、温熱刺激をするものです。
女性の先生で明るくて頼もしくて、すっかり安心してしまいました。
「鍼灸じゃないけれど、この先生がいいな」
と思って、しばらく通うことにしました。
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今だから思うのですが、テルミーも鍼灸の形を変えたものですね。
皮膚に刺す鍼だけが鍼ではなくて、皮膚をさするだけの「てい鍼」という鍼があります。
線香での温熱刺激は、間接灸でしょう。
はりと灸の両方の効果がある、有効な治療法だと思っています。
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鍼灸師になるまでの道のり(6)
何をどういう順番で試したのかは、今となってはよく覚えていません。
たまたま、「家庭中国漢方講座」という、漢方薬を何も知らない初心者向けの
漢方薬の通信教育を見つけたので、そこで基礎的なことを学びました。
本もたくさん読みました。

女性の一生と漢方 (漢方ブックス (1))
(石野信安 著)

はるかなる東洋医学へ (朝日文庫)
(本田勝一 著)

鍼を打つ人 竹村文近―心とからだ、目覚めへの旅 (実用書編集)
たくさん本を読んだのですが、
特に印象的だったのはこのあたりです。
本を読んだ知識から、
・薬を飲んで内側から治す「漢方薬」と、
・体の外側から治療する「鍼灸」
の二本立てが東洋医学の基本だと知りました。
中国などでは、医師が漢方薬と鍼灸を両方扱うのだそうです。
日本にも東洋医学専門の医師がいますが
専門的な知識が必要なため、数は少ないのです。
・漢方薬専門の薬剤師
・不妊を治せる鍼灸師
とにかくこの2つを探したいと、
鍼灸院や漢方薬局をタウンページで調べて、ピンと来たところに行く、
ということを繰り返しました。
まだインターネットが普及していない時代です。
漢方薬には、顆粒になって飲みやすい「エキス剤」と、
さまざまな「生薬」を証にあわせて処方してもらい、
それを飲むたびに煎じる「煎じ薬」タイプなどがあります。
エキス剤の方が簡単に手に入りますし、私も飲んでみたのですが、
私はグツグツと煎じる「煎じ薬」にこだわっていました。
いろいろ調べていくうちに、
家から2時間ほどのところに
東洋医学の個人病院がオープンするという情報を得て、
オープンと同時に通い始めました。
病院では、煎じるタイプの漢方薬を健康保険で出してくれました。
治療というのは、定期的に薬を処方してもらうことがメインです。
そこは母の実家の近くでもあり、この先生の知識の多さに、
私はとても安心できました。
少し遠いけれど、ここで治療してもらうことに決めました。
病院に行ったときはお灸もしてもらいましたが、
家の近くで鍼灸院を探すようにすすめられました。
いろいろな人に情報を求めたのですが、決め手になる情報はなく、
電話帳を見て、いろいろ行ってみました。
どこも男性の先生ばかりだったので、婦人科のことは相談しにくく、
「やっぱり女性がいいなぁ・・・」と。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
http://bsp.naganoblog.jp/e269216.html
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(石野信安 著)

はるかなる東洋医学へ (朝日文庫)
(本田勝一 著)

鍼を打つ人 竹村文近―心とからだ、目覚めへの旅 (実用書編集)
たくさん本を読んだのですが、
特に印象的だったのはこのあたりです。
本を読んだ知識から、
・薬を飲んで内側から治す「漢方薬」と、
・体の外側から治療する「鍼灸」
の二本立てが東洋医学の基本だと知りました。
中国などでは、医師が漢方薬と鍼灸を両方扱うのだそうです。
日本にも東洋医学専門の医師がいますが
専門的な知識が必要なため、数は少ないのです。
・漢方薬専門の薬剤師
・不妊を治せる鍼灸師
とにかくこの2つを探したいと、
鍼灸院や漢方薬局をタウンページで調べて、ピンと来たところに行く、
ということを繰り返しました。
まだインターネットが普及していない時代です。
漢方薬には、顆粒になって飲みやすい「エキス剤」と、
さまざまな「生薬」を証にあわせて処方してもらい、
それを飲むたびに煎じる「煎じ薬」タイプなどがあります。
エキス剤の方が簡単に手に入りますし、私も飲んでみたのですが、
私はグツグツと煎じる「煎じ薬」にこだわっていました。
いろいろ調べていくうちに、
家から2時間ほどのところに
東洋医学の個人病院がオープンするという情報を得て、
オープンと同時に通い始めました。
病院では、煎じるタイプの漢方薬を健康保険で出してくれました。
治療というのは、定期的に薬を処方してもらうことがメインです。
そこは母の実家の近くでもあり、この先生の知識の多さに、
私はとても安心できました。
少し遠いけれど、ここで治療してもらうことに決めました。
病院に行ったときはお灸もしてもらいましたが、
家の近くで鍼灸院を探すようにすすめられました。
いろいろな人に情報を求めたのですが、決め手になる情報はなく、
電話帳を見て、いろいろ行ってみました。
どこも男性の先生ばかりだったので、婦人科のことは相談しにくく、
「やっぱり女性がいいなぁ・・・」と。
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鍼灸師になるまでの道のり(5)
31歳で結婚しました。
理想どおりの素敵なダーリンでした。
結婚したら、子供は2人で平凡でいいから幸せな家庭を・・・
と夢を見ていました。
遅い結婚だったので、早く子供がほしいとも思っていました。
結婚してすぐに妊娠して喜んでいましたが、11週で流産しました。
病院で担当の医師から
「よかったですね。赤ちゃんができるとわかって。」
と言われ、頭の中は「???」
でも、その一言には、ものすごく意味がありました。
それから1年すぎても、妊娠の気配がありません。
1回妊娠できたのですから、器質的な問題はないと思ったのですが、
念のため検査もしました。問題はありませんでした。
出口の見えない「不妊治療」の始まりでした。
「治療しましょう」と言われて、排卵誘発剤の注射を受けました。
その時、「まれにお腹が痛くなることがあります」
と言われましたが、その「まれな例」になってしまったようで、
下腹部がかなり痛みました。
そして、それをきっかけに、それまで正常だった基礎体温が乱れてしまったのです。
恐らく自分の冷え症に原因があると思いました。
冷え症を治せば妊娠できるかもしれない、
と、確信に似た感覚がありました。
東洋医学に興味はあったものの、治療の体験がなかった私は、
これをきっかけに、堂々と東洋医学の治療を受けてみたい、
とも思っていました。
西洋医学を否定するわけではないのです。
東洋医学という未知の医療に対する興味がずっと勝っていたのです。
試してみたくてしょうがなかった。
相談する人もいなかったので、手探りで探していきました。

そのとき参考になったのが、この本
たまらない女 (講談社文庫)
(はにわきみこ著)
便秘を治すために、様々なことに挑戦した体験談で、
著者の前向きな姿勢に何度も読んで救われました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちら
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理想どおりの素敵なダーリンでした。
結婚したら、子供は2人で平凡でいいから幸せな家庭を・・・
と夢を見ていました。
遅い結婚だったので、早く子供がほしいとも思っていました。
結婚してすぐに妊娠して喜んでいましたが、11週で流産しました。
病院で担当の医師から
「よかったですね。赤ちゃんができるとわかって。」
と言われ、頭の中は「???」
でも、その一言には、ものすごく意味がありました。
それから1年すぎても、妊娠の気配がありません。
1回妊娠できたのですから、器質的な問題はないと思ったのですが、
念のため検査もしました。問題はありませんでした。
出口の見えない「不妊治療」の始まりでした。
「治療しましょう」と言われて、排卵誘発剤の注射を受けました。
その時、「まれにお腹が痛くなることがあります」
と言われましたが、その「まれな例」になってしまったようで、
下腹部がかなり痛みました。
そして、それをきっかけに、それまで正常だった基礎体温が乱れてしまったのです。
恐らく自分の冷え症に原因があると思いました。
冷え症を治せば妊娠できるかもしれない、
と、確信に似た感覚がありました。
東洋医学に興味はあったものの、治療の体験がなかった私は、
これをきっかけに、堂々と東洋医学の治療を受けてみたい、
とも思っていました。
西洋医学を否定するわけではないのです。
東洋医学という未知の医療に対する興味がずっと勝っていたのです。
試してみたくてしょうがなかった。
相談する人もいなかったので、手探りで探していきました。

そのとき参考になったのが、この本
たまらない女 (講談社文庫)
(はにわきみこ著)
便秘を治すために、様々なことに挑戦した体験談で、
著者の前向きな姿勢に何度も読んで救われました。
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鍼灸師になるまでの道のり(4)
東洋医学に出会ったのは、28歳の頃だと思います。
本屋さんで手にした『自分で治す「冷え性」』(田中美津著)がきっかけでした。

自分で治す「冷え症」
鍼灸師の著者が、自分自身の冷え症を東洋医学で治した経験も含め、
冷えと東洋医学の関係をわかりやすく書いた本です。
この本を初めて読んだときは感激しました。
書かれている症状のすべてが、私の体のことのように感じました。
そして、それは治るらしいのです。
ひどい生理痛も、アトピーも、吹き出物も、微熱も、だるさも、
ちゃんと原因があるというのです。
長い間、ずっと私が悩んでいた症状は、
すべて「冷え」からくるのだと知りました。
病気の問屋のような状態だった私は、
「体のあちこちが悪い」のではなくて、
「いろいろな形で症状が現れているだけで原因はひとつ」
それが「冷え」だということ。
それは私にとって大きな希望でした。
そして、東洋医学というものに興味を持つようになりました。
「鍼灸師」という職業があることを知ったのも、この本がきっかけでした。
何となく興味を持ちつつ、でも私には関係ないとも思っていました。
この頃の私は、手に職をつけるというよりは、
とにかく結婚したかったのですね(笑)
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちら
http://bsp.naganoblog.jp/e267969.html
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本屋さんで手にした『自分で治す「冷え性」』(田中美津著)がきっかけでした。

自分で治す「冷え症」
鍼灸師の著者が、自分自身の冷え症を東洋医学で治した経験も含め、
冷えと東洋医学の関係をわかりやすく書いた本です。
この本を初めて読んだときは感激しました。
書かれている症状のすべてが、私の体のことのように感じました。
そして、それは治るらしいのです。
ひどい生理痛も、アトピーも、吹き出物も、微熱も、だるさも、
ちゃんと原因があるというのです。
長い間、ずっと私が悩んでいた症状は、
すべて「冷え」からくるのだと知りました。
病気の問屋のような状態だった私は、
「体のあちこちが悪い」のではなくて、
「いろいろな形で症状が現れているだけで原因はひとつ」
それが「冷え」だということ。
それは私にとって大きな希望でした。
そして、東洋医学というものに興味を持つようになりました。
「鍼灸師」という職業があることを知ったのも、この本がきっかけでした。
何となく興味を持ちつつ、でも私には関係ないとも思っていました。
この頃の私は、手に職をつけるというよりは、
とにかく結婚したかったのですね(笑)
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鍼灸師になるまでの道のり(3)
栄養士の資格を取ったものの、就職したのは普通の会社で、
事務の仕事をしていました。
当時は、OLと呼ばれ、職場の花と呼ばれ(時代を感じますなぁ~)
「お茶汲み」と呼ばれる仕事をしていました。
もともと虚弱な私でしたが、会社で仕事を何年もやっているうちに、
だんだん体調が悪くなってきたのです。
最初に悩んだのが冷え性でした。
特に夏場、オフィスはエアコンでキンキンに冷え、
銀行などに行くために外に行くと猛暑で汗がダラダラ。
1日数回これを繰り返しているうちに、
体のバランスはすっかり崩れてしまいました。
少しずつ体調が悪くなっていきました。
アトピー性皮膚炎で顔から首は湿疹だらけになりました。
赤いブツブツを隠すためにファンデーションは手放せず、
塗ったファンデーションはフケのようにポロポロはがれるし、
化粧水さえもしみるほどでした。
皮膚科に何件も行ったし、化粧品もいろいろ試しました。
一番効果があったのは、漢方薬だったのですが、
若かったので、1日3回食後に薬を飲むのが苦痛で、
続けることができませんでした。
生理痛も相当なひどさでした。
職場で生理痛になり、痛み止めの薬を飲んでも吐いてしまい、
痛みで動けなくなったあげくに、救急車で運ばれたこともあります。
そんな大げさな、と思わないでくださいね。
どのくらい痛かったかというと、私は出産の陣痛のときに、
「これなら生理痛より楽だわ」と思ったくらいです。
微熱も続いていました。
毎日毎日、37.2度ぐらいの熱があるのです。
常に風邪の引き始めのような体調です。
いつも不機嫌な顔をしていました。
「体調さえよければ笑えるのに」といつも思っていました。
職場を休む日が増えてきた頃、社長に言われました。
「ちゃんと病院に行って、治しなさい」
職場の近くの総合病院に行って検査をしました。
そこで医師に告げられたのは、
「よかったですね。どこも悪いところはないですよ。」
ちっともよくないです!
私を治してください~~~(涙)
入社して、7年目ぐらいのことだったと思います。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちら
http://bsp.naganoblog.jp/e267965.html
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事務の仕事をしていました。
当時は、OLと呼ばれ、職場の花と呼ばれ(時代を感じますなぁ~)
「お茶汲み」と呼ばれる仕事をしていました。
もともと虚弱な私でしたが、会社で仕事を何年もやっているうちに、
だんだん体調が悪くなってきたのです。
最初に悩んだのが冷え性でした。
特に夏場、オフィスはエアコンでキンキンに冷え、
銀行などに行くために外に行くと猛暑で汗がダラダラ。
1日数回これを繰り返しているうちに、
体のバランスはすっかり崩れてしまいました。
少しずつ体調が悪くなっていきました。
アトピー性皮膚炎で顔から首は湿疹だらけになりました。
赤いブツブツを隠すためにファンデーションは手放せず、
塗ったファンデーションはフケのようにポロポロはがれるし、
化粧水さえもしみるほどでした。
皮膚科に何件も行ったし、化粧品もいろいろ試しました。
一番効果があったのは、漢方薬だったのですが、
若かったので、1日3回食後に薬を飲むのが苦痛で、
続けることができませんでした。
生理痛も相当なひどさでした。
職場で生理痛になり、痛み止めの薬を飲んでも吐いてしまい、
痛みで動けなくなったあげくに、救急車で運ばれたこともあります。
そんな大げさな、と思わないでくださいね。
どのくらい痛かったかというと、私は出産の陣痛のときに、
「これなら生理痛より楽だわ」と思ったくらいです。
微熱も続いていました。
毎日毎日、37.2度ぐらいの熱があるのです。
常に風邪の引き始めのような体調です。
いつも不機嫌な顔をしていました。
「体調さえよければ笑えるのに」といつも思っていました。
職場を休む日が増えてきた頃、社長に言われました。
「ちゃんと病院に行って、治しなさい」
職場の近くの総合病院に行って検査をしました。
そこで医師に告げられたのは、
「よかったですね。どこも悪いところはないですよ。」
ちっともよくないです!
私を治してください~~~(涙)
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鍼灸師になるまでの道のり(2)
高校を卒業して、短大に進学し、栄養学を専門に勉強しました。
食いしん坊なので、食べることに興味があったことと、
英語の苦手な私は受験科目の関係で、
長野県内の短大ではそこしか受けるところがなかった、
という表向きの理由でしたが、その頃から体に興味があったのでしょう。
栄養の勉強は楽しかったです。
でも、それが全てではないということも感じていました。
いくら食べても太れない体だった私は、栄養学的に正しい食事をしても、
健康的に太ることがなかったからです。
胃腸がちゃんと働いていないという、カロリー計算以前の問題ですね(笑)
それでも、きちんとした栄養学の知識を20歳になる前に身につけたことは、
私の人生を大きく支えてきてくれたように思います。
というわけで、人生最初にとった資格は「栄養士」でした。
鍼灸師になったのは、それから20年後です(笑)
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
つづきはこちらから
http://bsp.naganoblog.jp/e267544.html
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食いしん坊なので、食べることに興味があったことと、
英語の苦手な私は受験科目の関係で、
長野県内の短大ではそこしか受けるところがなかった、
という表向きの理由でしたが、その頃から体に興味があったのでしょう。
栄養の勉強は楽しかったです。
でも、それが全てではないということも感じていました。
いくら食べても太れない体だった私は、栄養学的に正しい食事をしても、
健康的に太ることがなかったからです。
胃腸がちゃんと働いていないという、カロリー計算以前の問題ですね(笑)
それでも、きちんとした栄養学の知識を20歳になる前に身につけたことは、
私の人生を大きく支えてきてくれたように思います。
というわけで、人生最初にとった資格は「栄養士」でした。
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鍼灸師になるまでの道のり(1)
「どうして鍼灸師になったのですか?」
と、初対面の方からよく聞かれます。
鍼灸とは縁のないサラリーマンの家庭に育った私が、
鍼灸師になるまでの道のりを書いていきたいと思います。
私が生まれ育ったのは、田舎の村でした。
私の母親は、その村の診療所で医療事務の仕事をしていました。
患者さんがいないときには、その診療所の待合室や事務室に入らせてもらいました。
カプセルや錠剤などは、間違えないように色々な色がついているのですが、
カラフルな薬が並んでいる棚をワクワクする思いで眺めていたことを覚えています。
ちょっとした病気でも、母親が病院から薬をもらってきてくれたので、
小さな頃は与えられるままに飲んでいました。
しかし、健康だったわけではありません。
私はとても体の成長が遅い子供でした。
同時に、持病のようにお腹が痛く、いつも体調の悪い子供でした。
顔色が悪くて、食欲がなくて、体を動かすのが嫌いで・・・
といった子供らしくない子供で、まあ可愛げがない(笑)
実はその頃の我が家の家庭環境がとても悪く、
子供の私はその影響をもろに受けていました。
そんな私の体に現れる病気は、「心の問題」が影響していたわけですから、
腹痛だから痛み止めの薬を飲む、という方法では治るはずがなかったのです。
健康というのは、体のことだけをいうのではないと、
子供ながらにわかっていたような気がしています。
それから、薬を飲んでいるだけでは健康になれないということも。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
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と、初対面の方からよく聞かれます。
鍼灸とは縁のないサラリーマンの家庭に育った私が、
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私が生まれ育ったのは、田舎の村でした。
私の母親は、その村の診療所で医療事務の仕事をしていました。
患者さんがいないときには、その診療所の待合室や事務室に入らせてもらいました。
カプセルや錠剤などは、間違えないように色々な色がついているのですが、
カラフルな薬が並んでいる棚をワクワクする思いで眺めていたことを覚えています。
ちょっとした病気でも、母親が病院から薬をもらってきてくれたので、
小さな頃は与えられるままに飲んでいました。
しかし、健康だったわけではありません。
私はとても体の成長が遅い子供でした。
同時に、持病のようにお腹が痛く、いつも体調の悪い子供でした。
顔色が悪くて、食欲がなくて、体を動かすのが嫌いで・・・
といった子供らしくない子供で、まあ可愛げがない(笑)
実はその頃の我が家の家庭環境がとても悪く、
子供の私はその影響をもろに受けていました。
そんな私の体に現れる病気は、「心の問題」が影響していたわけですから、
腹痛だから痛み止めの薬を飲む、という方法では治るはずがなかったのです。
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